金属铍毒性:鲁迅先生作品集日文版:《呐喊》中日对照PART 1

来源:百度文库 编辑:九乡新闻网 时间:2024/05/04 19:17:40
  • 鲁迅先生作品集日文版:《呐喊》中日对照PART 1
  • 多少年后,淡忘了昔日课本上的记忆,再来重读鲁迅,突然发现,鲁迅竟然和记忆中如此不同。
    再读这些文字,才明白为什么鲁迅先生的作品能够成为经典。
    因为他冲破了一个时代的束缚,像曙光,照亮了一个民族的梦。

     

    日文版

     私も若い頃はたくさん夢を見た、後には大半は忘れてしまったが、ただ、自分でもそれを惜しいとは思わない。いわゆる思い出というものは、人を悦ばすこともできるが、時にやはり人を淋しがらせるものだ。精神の糸を過ぎ去った寂寞の日々に繋げておいたとして、いったい何の意味があるだろう。逆に、それらをすべて忘れ去れないことが辛いのだ。その忘れられない思い出の一部が、今ここに『吶喊』をなす由来となった。

     かつて私は四年あまりの間よく――ほとんど毎日、質屋と薬屋へ出入りした。何歳頃だったかは忘れてしまったが、とにかくも薬屋のカウンターは私の背丈ほどあり、質屋のそれは私の背の二倍もあった。私はその二倍も高いカウンターの外から、衣服や装飾品を差し出し、蔑まれながら金を受け取った。それから私の背丈ほどのカウンターへ行き、患って久しい父のために薬を買う。家へ帰れば、別のことでまた忙しかった。というのも、薬の処方を書く医者がとても有名な人で、用いる薬の材料もとても変わったものだったから。冬の蘆の根、三年霜にさらされた甘蔗、夫婦のままのコウロギ、実のなった平地木……みな容易に手に入るものではない。だが結局、父の病は日ごとに重くなり、死んだ。

     裕福な状態から、生活が苦しい状態へ墜ちていく人があるとすれば、その人はその途中で大てい、世の人の真の姿を見ることができると思う。私がNへ行き、K学堂へ進むことを願ったのも、異なる道を行き、異なる地へ逃れ、違った人々を尋ね求めたかったからだろう。母は仕方なく、八元のお金を工面してくれた、私が自由にできるように、と。しかし、彼女は泣いた、これは人情として当然のことだ。何故ならその頃は経書を学んで科挙を受けるのが真っ当な道であり、いわゆる洋学を学ぶのは、進む道を失った者が、まさに魂を鬼(西洋人)に売り渡すことであると思われていて、より一層非難され排斥される、そのうえ母は自分の子供と会えなくなるのだから。しかし私はそれらのことにもかまわず、とうとうNへ行きK学堂へ入った。学堂では、私は初めて世の中には物理学があり化学があり、数学があり、地理、歴史、美術、体育のあることを知った。生理学は教えられていなかったが、私たちは木版の『全体新論』や『化学衛生論』などを読むことができた。私はまだ覚えているが、以前の医者の見解や処方は、いま私が知ったことと比べてみて、中国の医者というのは意図的にせよそうでないにせよ一種の騙りに過ぎないのだと悟るようになった。同時にまた、騙られている病人とその家族に同情を寄せるようになった。さらに翻訳された歴史関連書籍から、日本の維新は大半が西洋医学に始まっていることを知った。

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    我在年青时候也曾经做过许多梦,后来大半忘却了,但自己也并不以为可惜。所谓回忆者,虽说可以使人欢欣,有时也不免使人寂寞,使精神的丝缕还牵着己逝的寂寞的时光,又有什么意味呢,而我偏苦于不能全忘却,这不能全忘的一部分,到现在便成了《呐喊》的来由。

    我有四年多,曾经常常,——几乎是每天,出入于质铺和药店里,年纪可是忘却了,总之是药店的柜台正和我一样高,质铺的是比我高一倍,我从一倍高的柜台外送上衣服或首饰去,在侮蔑里接了钱,再到一样高的柜台上给我久病的父亲去买药。回家之后,又须忙别的事了,因为开方的医生是最有名的,以此所用的药引也奇特:冬天的芦根,经霜三年的甘蔗,蟋蟀要原对的,结子的平地木,……多不是容易办到的东西。然而我的父亲终于日重一日的亡故了。

    有谁从小康人家而坠入困顿的么,我以为在这途路中,大概可以看见世人的真面目;我要到N进K学堂去了,仿佛是想走异路,逃异地,去寻求别样的人们。我的母亲没有法,办了八元的川资,说是由我的自便;然而伊哭了,这正是情理中的事,因为那时读书应试是正路,所谓学洋务,社会上便以为是一种走投无路的人,只得将灵魂卖给鬼子,要加倍的奚落而且排斥的,而况伊又看不见自己的儿子了
    。然而我也顾不得这些事,终于到N去进了K学堂了,在这学堂里,我才知道世上还有所谓格致,算学,地理,历史,绘图和体操。生理学并不教,但我们却看到些木版的《全体新论》和《化学卫生论》之类了。我还记得先前的医生的议论和方药,和现在所知道的比较起来,便渐渐的悟得中医不过是一种有意的或无意的骗子,同时又很起了对于被骗的病人和他的家族的同情;而且从译出的历史上,又知道了日本维新是大半发端于西方医学的事实。