金刚经全文诵读慢诵版:京都新聞 凡語

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失敗学と事故調査
思い出せば今もキリキリと胃の痛む失敗がある。小さなものは数知れず、失敗続きの記者人生といってもいい。程度の差はあれ、読者の多くも失敗の経験がおありではないか▼大切なのはその後で、日本では失敗を隠したり、うやむやにしがちだが、肯定的にとらえようというのが畑村洋太郎東京大名誉教授が提唱する「失敗学」。話題になったのは、もう十数年前だ▼政府が、その畑村さんを東京電力福島第1原発の「事故調査?検証委員会」委員長に起用したのは、人は必ず失敗することを前提に原因を分析、「成功の母」につなげようという逆転の発想が、色あせていないからだろう▼JR尼崎脱線事故の調査にも携わったが、世界最悪レベルの事故がなぜ起きたかの解明は、そうたやすくない。東電や政府の対応はもちろん、安全審査や規制のあり方まで、幅広い検証も要る▼畑村さんは著書「失敗学のすすめ」(講談社)で客観的失敗情報は役に立たないという。今回なら当事者である東電社員や菅直人首相が何を考え、どんな行動を取ったのかが大事というわけだ。チェルノブイリ原発事故に触れたくだりも興味深い▼事故や不祥事を起こした時、企業や役所が中心になって原因究明のための特別チームが組織されることがあるが、当たり障りのない結論をだして、お茶を濁すこともなきにしもあらず-と。要諦は先刻ご承知。「失敗学」成功の集大成とできるかどうか。
失敗学と事故調査
思い出せば今もキリキリと胃の痛む失敗がある。小さなものは数知れず、失敗続きの記者人生といってもいい。程度の差はあれ、読者の多くも失敗の経験がおありではないか▼大切なのはその後で、日本では失敗を隠したり、うやむやにしがちだが、肯定的にとらえようというのが畑村洋太郎東京大名誉教授が提唱する「失敗学」。話題になったのは、もう十数年前だ▼政府が、その畑村さんを東京電力福島第1原発の「事故調査?検証委員会」委員長に起用したのは、人は必ず失敗することを前提に原因を分析、「成功の母」につなげようという逆転の発想が、色あせていないからだろう▼JR尼崎脱線事故の調査にも携わったが、世界最悪レベルの事故がなぜ起きたかの解明は、そうたやすくない。東電や政府の対応はもちろん、安全審査や規制のあり方まで、幅広い検証も要る▼畑村さんは著書「失敗学のすすめ」(講談社)で客観的失敗情報は役に立たないという。今回なら当事者である東電社員や菅直人首相が何を考え、どんな行動を取ったのかが大事というわけだ。チェルノブイリ原発事故に触れたくだりも興味深い▼事故や不祥事を起こした時、企業や役所が中心になって原因究明のための特別チームが組織されることがあるが、当たり障りのない結論をだして、お茶を濁すこともなきにしもあらず-と。要諦は先刻ご承知。「失敗学」成功の集大成とできるかどうか。
失敗学と事故調査
思い出せば今もキリキリと胃の痛む失敗がある。小さなものは数知れず、失敗続きの記者人生といってもいい。程度の差はあれ、読者の多くも失敗の経験がおありではないか▼大切なのはその後で、日本では失敗を隠したり、うやむやにしがちだが、肯定的にとらえようというのが畑村洋太郎東京大名誉教授が提唱する「失敗学」。話題になったのは、もう十数年前だ▼政府が、その畑村さんを東京電力福島第1原発の「事故調査?検証委員会」委員長に起用したのは、人は必ず失敗することを前提に原因を分析、「成功の母」につなげようという逆転の発想が、色あせていないからだろう▼JR尼崎脱線事故の調査にも携わったが、世界最悪レベルの事故がなぜ起きたかの解明は、そうたやすくない。東電や政府の対応はもちろん、安全審査や規制のあり方まで、幅広い検証も要る▼畑村さんは著書「失敗学のすすめ」(講談社)で客観的失敗情報は役に立たないという。今回なら当事者である東電社員や菅直人首相が何を考え、どんな行動を取ったのかが大事というわけだ。チェルノブイリ原発事故に触れたくだりも興味深い▼事故や不祥事を起こした時、企業や役所が中心になって原因究明のための特別チームが組織されることがあるが、当たり障りのない結論をだして、お茶を濁すこともなきにしもあらず-と。要諦は先刻ご承知。「失敗学」成功の集大成とできるかどうか。
人の気質は、素質に加え、生まれ育った環境や風土によるという。ならば、いわゆる県民性が存在するのかもしれない▼あるビジネス誌の連載によると、京都人は「プライドは天下一、気品が漂う」そうだ。京都でも丹波出身の筆者には見当外れだが「長い変転の歴史にはぐくまれた気質」と説明されれば、なるほどと思う▼琵琶湖が開け、交通の要衝である滋賀の人は、近江商人の地らしく「フットワークが軽く、情報通」だそうだ。真に受けるかはともかく、歴史や地理から47都道府県の気質を特徴づけて楽しむのは罪がない▼被災した東北はどうか。例えば詩人高村光太郎が「牛のごとし」と評した岩手県人は素朴、寡黙、真面目のイメージ。避難所を見舞ったサッカーJ1鹿島の小笠原満男選手(同県出身)は、被災者が物資を譲り合う姿に「強くて優しい。自分より人が先。それが東北人。誇りに思った」と語る▼政治家になると気質が変わるのだろうか。民主党代表として自民党との大連立に失敗した際、岩手県人の小沢一郎氏は「不器用で口下手な東北人気質」ゆえと言い訳したが、ご本人の鉄面皮な印象とギャップが大きい▼原発対応でドタバタが続く菅直人首相は「頭脳明晰(めいせき)で弁が立ち、無類の負けず嫌い」の山口県生まれ。本籍は「温厚な雰囲気ながら自己主張」する岡山県。そして「ストレスの多い環境を生き抜くタフな」東京都で育った。ん…ほんまかいな。
[京都新聞 2011年05月21日掲載]
何が見えているのだろう。澄んだ目は遠く、小さな手が空(くう)をつかむ。「今」という時間の中に閉じ込めてしまいたくなる幼子の姿。<バンザイの姿勢で眠りいる吾(あ)子よ そうだバンザイ生まれてバンザイ>(俵万智)▼そう世に叫びたい「こどもの日」に、まず思うのは被災地の子らのことだ。その笑顔に大人は癒されてきたが「では子どもたちは誰に癒されるのでしょう」。福島県で支援に当たった京都府教委の冨永吉喜さんは案じる▼原発事故で会津若松市へ集団避難した大熊町。自らも被災しながら子の前でも親の前でも弱音を吐けぬ先生、保護者も顔を合わせば「がんばろうね」と声を掛け合う。すべての大人がピンと張った弦のような状態だった▼ある日、孫だろうか三つぐらいの幼い瞳に向かってお年寄りが切々と「つらい」と訴えていた。ただただ聞いている子。不慣れな生活で口論の絶えない家族に小さな胸を痛めている子も少なくない。心の弦がキリキリと悲鳴を上げているはずだ▼「直接的なケアもさることながら、子どもと関わる当事者への手助けこそ必要だとわかった」と冨永さん。「猫の手、孫の手になろう」を合言葉に、支援チーム10人が20の目と耳を駆使して現場の雑務の「ニッチ(隙間)」を埋めるよう努めた▼原発事故とふらつく政治のもやが立ちこめ、復興への道程はかすむ。だが、子どもを一番に考えればきっと、やるべきことが見えてくる。
[京都新聞 2011年05月05日掲載]ゴールデンウイーク期間中に「八十八夜」や立夏が巡ってくる。目に染む若葉が日本列島にあふれる豊かな生命力を思わせ、自然の恵みを感じさせてくれる▼京都市内の府立植物園や岡崎公園あたりを散策して例年に変わらず美しい新緑を目にした。しかし東日本大震災の影響か、行楽客の人出は控えめで、こちらも鬱然(うつぜん)とした思いがぬぐえなかった▼江戸時代の俳聖松尾芭蕉はこの時季に東北地方を歩いて、俳文「奥の細道」を残した。文中に田植えや夏木立、ホトトギスなど初夏の陸奥(みちのく)の、なつかしい自然と風物がちりばめられている。有名な<あらとうと青葉若葉の日の光>の句はこの折りのもの▼今年の連休中、東京などから大勢の若いボランティアが被災地や避難所に入り、それぞれ力添えをした。立夏の6日には、東北大や福島県立医科大で入学式があった。キャンパスのあちこちで今後、震災の教訓を踏まえ研究に情熱を傾ける学生らの姿が見られるだろう▼被災の3県ではちょうど、岩手の県の花キリや宮城、福島の県木ケヤキが、大空に向かって勢いよく若葉や紫の花房を差し伸ばしているころという▼現代俳句に初夏の若々しく躍動感あふれた気分を詠んだ句で<大作にとりかかりたる立夏かな>(平田倫子)というのがある。緑もえ出すこの季節は、被災地はもちろん日本列島に住む人皆に復興という「大作」に取り組む勇気を与えてくれているように思える。
東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市。商工会議所などでつくる実行委員会は夏の名物行事「石巻川開き祭り」を今年も開催すると決め、準備に入った▼1916年に始まった祭りは、水難事故で亡くなった人を供養し、江戸時代初めに石巻の築港工事を行った川村孫兵衛に感謝するのが趣旨。東北一といわれる約1万6千発の花火大会などでにぎわう▼実行委員会事務局の千葉孝さん(53)は「例年通りの規模でやるのは無理だが、こんな時だからこそ震災犠牲者の供養と、復興への希望につながる祭りにしたい」と語る▼協賛金を募る地元企業は被災し、花火の打ち上げ場所も仮設住宅の用地になっている。開催への課題はあるが、全国から激励や「資金をカンパするから口座を教えて」などの電話が寄せられているという▼今月上旬に石巻を訪れた。JR石巻駅より海側は今もがれきが山積みのままで、自衛隊など復興支援の車両が行き来する。住民はボランティアと一緒に黙々と片付けに取り組んでいた▼近くの塩釜市では営業を再開したすし店に「取り戻そう 元気 うまいもん食べて!! 東北の底力で」と張り紙があった。厳しい状況の中でも「一歩でも前向きに」という地元の人たちの気持ちが感じられた。その思いが集まれば復興への大きな力になるはずだ。
[京都新聞 2011年05月15日掲載]
福島県郡山市の小中学校や保育所などで、校庭の表土を取り除く作業が続いている。原発事故による放射能被害を防ぐため、市が独自判断で始めた▼背景には国の判断への不信がある。文部科学省は先月、学校での許容放射線量の目安を「屋外放射線量が毎時3?8マイクロシーベルト=年間積算20ミリシーベルト」と、従来基準の4倍近くに緩和した。郡山市でこれを超えた15校でも、校庭の活動を1日1時間程度に抑えれば問題ないとした▼本当にそうだろうか。地上より強い放射線を浴びる機会が多い航空機乗務員の場合、文科省は年間被ばく線量を5ミリシーベルト以下に抑えるよう指針を定めている。子どもたちの被ばくは、なぜその4倍まで許されるのだろうか▼政府の目安緩和には内閣官房参与だった放射線安全学者が抗議の辞任をし、日本弁護士連合会も見直しを求めている。郡山市では、3センチの表土が除去された校庭の放射線量が約半分~4分の1となった。常識的に考えて郡山市の汚染土除去の方が安心だし説得力がある▼放射線はわずかな量でも体に悪いのか、ある一定量以下は問題ないのか、国際的な議論が割れている。それでも遺伝子を傷つけることは確かなため、子どもや妊婦は特に、検診など必要な被ばく以外は避けた方がいいとの認識は共有されている▼子どもたちが長時間をすごす学校は最も安全な場所でなくてはいけない。思い切り走り回れる校庭の復旧こそが文科省の仕事だろう。
[京都新聞 2011年05月02日掲載]
水はごみよりも安い。と書いていいものかどうか。1トンの古紙は1万円。鉄くずだと8万円する。水道水は1トン(千リットル)で百円から2百円!▼飲むだけなら1日2、3リットルでいい。豊かな生活は水に頼る。お風呂に65リットル、トイレ60リットル、炊事55リットル、洗濯50リットル…。それこそ湯水のように使ってしまう。20世紀の百年で3?7倍となった世界の人口に対し、取水量は6?7倍にも増えた▼専門家の東大教授沖大幹さんから聞く。水の惑星と呼ばれる地球だが、96?5%は海水だ。残り3?5%。淡水に限れば2?5%。さらに使いやすい水はというと0?01%に過ぎない。途切れずに流れていれば、それでも支障はない。年間を通して雨の降る日本でまず水源は枯れない▼水道施設が貧弱なうえ、乾季のある地域は深刻だ。南米を訪ねたとき。赤い大地のたまり水を子どもがすくっていた。現地の人が言う。「ここの水は汚い。うちのは上等だ。雨水を溜めている」。真顔。軽口で返せない▼蛇口をひねれば水がほとばしる。当たり前。ペットボトルの水が店頭から消える。非常時の備え。放射能の心配。わからないでもないが。ペット水は1トン当たり20万円。石油より高い▼やかんやバケツを手に給水に並ぶ写真が被災地から送られてきた。たかが数時間の停電で首都が混乱する。災害はいろんなことを考えさせる。安全な水を飲めないため世界で毎年2百万人の乳幼児が亡くなっている。
[京都新聞 2011年04月30日掲載]
<ふるさとの訛(なまり)なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく>―石川啄木は言葉を媒介にした望郷の心を切々と歌って、人々の胸を打つ▼お国ことばは、都会で暮らす孤独な歌人を存分に癒やしてくれたに違いない。成美大経営情報学部(福知山市)の竹内淳准教授(50)が考案した「京ことば訳の小倉百人一首」も、その温かみと独特のおかしみは相通じるものだ▼小式部内侍(こしきぶのないし)の歌<大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立>は「こっから大江山まで遠いやん/行くのも大変やん/そやから生野までは行ってへんし/そやからその土地踏んでもいいひんし手紙もみてへん/あたりまえやん」▼学習教材や京土産品などに活用する取り組みだ。独創性が評価され、京都府などでつくる実行委主催の「京都文化ベンチャーコンペティション」文化ビジネスアイデア部門で府知事賞(最優秀賞)を得た▼情景が浮かぶ、心情が伝わる―そう思う人は多いのではないか。啄木の故郷がある東北地方などを襲った大震災。がれきの街で、避難所で、被災者の声音のうちに、悲しみとともに不屈の強さを感じるのも、お国ことばゆえだろう▼竹内准教授は今後、府の力添えで、絵札をデザインしたTシャツなど商品化を目指す。「優しいお国ことばを次代に残すのが、私たちの責務」と。古典に、京の奥深さと軽妙さを加味したことばの磁力で、観光客を引きつける日が楽しみだ。
[京都新聞 2011年04月18日掲載]
新しい友達はできただろうか。いっぱい、おしゃべりしたかな。いよいよ新学期だね。津波で校舎が壊れ、近隣の学校で始業式に臨んだ人。遠く離れた避難所のある地域の学校で入学式を迎えた人。君たちの笑顔は輝いていたろう▼京都や滋賀の小中学校にも約60人が被災地から、転校?入学した。新たな一歩に期待を膨らませる一方、不安に思っている人もいるに違いない。見知らぬ土地での、慣れない生活。言葉遣いの違いも気になるよね▼あの日以来、家族や友達と会っていない人もいるだろう。以前のように、はしゃぎ回ることが減ったかもしれない。ときどき気がめいったり悲しくなることもね。でも、たくさんの友達とともに存分に勉強し、遊んでほしい▼避難所ではいろいろなことを経験するね。空腹だったり寒かったり。友達も少なく寂しいだろう。でもそうじや炊き出しを手伝い、お年寄りの肩をもんであげる。元気な君たちがどれほど、みんなを和ませるか▼明るく振る舞っていても、心の奥では悲しみをこらえ、泣きだしたくなることがあると思う。どうしたらいいか分からないときは、先生に打ち明けたらいい。真剣に話を聞き、アドバイスしてくれるよ▼この先もつらいことがあるかもしれない。でも、強い心と優しさを失わないで。ケーキ屋さんや幼稚園の先生、プロ野球選手など一人一人の夢をぜひ、かなえてほしい。大人も力を合わせて応援したい。
[京都新聞 2011年04月08日掲載]
「鳩子の海」という番組をご記憶だろうか。オイルショックのころ放映されたNHKの連続テレビ小説だ。1年間の平均視聴率が50%近くに達する超人気ドラマだった▼物語の舞台は、瀬戸内海に面した風光明媚(めいび)な山口県上関(かみのせき)町。記憶を失った戦災孤児の鳩子は親切な人々に囲まれて成長し、茨城県?東海村の原子力研究者と結婚する▼やがて、防空ずきんの紬(つむぎ)の柄から、鳩子は京都?室町の呉服問屋の娘で、疎開先へ向かう途中に広島で被爆したと分かる。放映当時、筆者は小学生だったが、テレビを見ながら、暗い影のようなものを感じた覚えがある▼ドラマで鳩子は、離婚した夫を最後に許す。資源小国の日本が経済成長に必要な電力需要をまかなうには、原爆を憎みながらも原発を受け入れざるを得ないのではないか-。作者のそんなメッセージを読み取るのは勘ぐりすぎだろうか▼ドラマの放映時点で、福島第1原発の6基を含む20基が着工済みだった。「電気が要る」という現実の前に、原発立地はその後も全国で進められ、現在54基が稼働中だ。鳩子が育った上関町でも2基の建設が計画され、小さな町を二分する論争となっている▼「チェルノブイリ級」となった福島第1原発の事故で風向きは変わるのだろうか。平和利用したはずの原子力が牙をむき、広島型原爆の数十倍もの放射性物質を空に海にまき散らしてしまった。それでもなお、鳩子は許せるのだろうか。
[京都新聞 2011年04月14日掲載]
文明が進むほど天災による損害の程度も累進する-とは、物理学者寺田寅彦の言葉だ。東日本大震災によるライフラインの寸断は、いまも被災者に不便を強いている▼電気もガスも水道も、一本の線や管で供給される。暮らしに欠かせない文字通りの命綱だがいったん切れるとダメージは大きい。遠くの発電所や浄水場を頼みの綱とする生活がいかに綱渡りだったか、再認識させられた▼ライフラインという言葉がなかった時代はどうだったのだろう。江戸時代は、川や井戸があって断水の心配はなく、トイレが満杯になればくみ取って肥料に回した。燃料の木材は手近な場所で調達でき、田や畑の作物は食料の不安を和らげた-▼江戸の庶民生活を研究する石川英輔さんが著書「大江戸えころじー事情」で紹介している。太陽エネルギーのみに支えられた暮らしは不便かもしれないが、外部からの大量供給に頼らないライフスタイルは、少々の災害では崩れない強さを持つ▼今夏の電力不足を見込み、電機メーカー各社が家庭用蓄電池の発売に動きだした。太陽光発電などで得た電気をためれば、ささやかながら電力を自給できる。普及次第でエネルギー供給の仕組みが一変するかもしれない▼太陽だけで暮らせた江戸の生活を、石川さんは「265年にわたる国家的規模の実験結果で世界に類のない具体的な資料」と記す。昔には戻れないが、自給自足の知恵に学ぶのも悪くない。
[京都新聞 2011年04月27日掲載]
被災者にとって「10年」という時間はどう感じられるのか。東日本大震災発生1カ月のおととい、宮城県が復興方針の素案をまとめた。壊滅的被害からの復興を遂げる目標を10年後に設定した▼県民一人一人を主体に、単なる復旧ではなく新たな地域の再構築を目指す-。素案は未来に向け力強い決意を示している。ただ、どんな状態になれば復興といえるのか、議論の分かれるところだ▼多くの住宅被害が出た阪神大震災では、10年間で公営住宅の建設が進んだが、区画整理による転出でコミュニティーが崩壊した例も目立った。高齢者の孤独死も問題化した。都市基盤が復興しても生活の再建は遠かった▼悲惨な体験を忘れさせるのも10年という年月なのだろう。今回の大津波で甚大な被害を受けた岩手県の三陸海岸は1896年の大津波後、多くの集落が高地への移転を決めた。だが10年後いくつかの集落が暮らしの利便を求め、元の地に戻った▼そうした集落が1933年の大津波で再び壊滅した経緯を、研究者たちが指摘している。「記憶の風化」と言うのはたやすいが、10年という期間は人生にとって短くない。個別事情による転出や移転を止めるのは難しい▼「10年」が持つ意味は、地域や個人それぞれで異なる。それでも働き盛りの人が、同じ人生の中で十分やり直せる長さに思える。復興後の姿を今から想像することは難しいが、希望に近づく10年であってほしい
[京都新聞 2011年04月13日掲載]
100年前、材木業不振である家族が離散した。少年は母子で醤油(しょうゆ)店に住みこんだ。配達や集金を黙々と続け、小学校卒業後は、親類の薪炭業を手伝うことになっていた。学校は進学を勧めていたが…▼「あしながおじさん」が登場した。現在の南丹市園部町出身の樋口勇吉さん。勉強をしたくともできなかった苦い思いから、帽子輸出で成した財で奨学金財団?船井郡郷学社をふるさとに設けた。少年が奨学生第1号だ▼弁護士から唯一、最高裁長官となった藤林益三さんだ。大人用自転車で転びながら雪道の配達をこなしていた生活が一変し、「経済的苦労なしに大学まで行けた」という。郷学社は大正から戦後にかけ、約80人を支えた▼転換期は、ひときわ格差が拡大するのだろうか。米国のウェブスターが孤児院の少女を主人公に小説「あしながおじさん」を発表したのは、やはり同時代の1912年。第1次世界大戦の直前だ▼京滋で新学期をスタートさせた児童生徒たちがいる。一方で家族が離散し、生きていくだけで精いっぱいの子どもたちは数え切れない。避難した人たちであふれる学校は、まだ何校あるのだろう▼藤林さんは亡くなるまで、家族に何度も奨学金への感謝を口にした。郷学社を引き継ぐ財団に寄付手続きを終え、99歳で息を引き取った。今月24日は4回目の命日。新学期の今、1人でも多くの子どもたちを支えられるよう奨学金制度拡充を強く願う。
[京都新聞 2011年04月10日掲載]
でんき予報」が関西でも始まった。予想気温や過去の実績を参考に電力会社が翌日の最大電力需要量を予測し供給がどこまで応じられるかの予想を顔マークで表示する▼予報初日の先月29日は猛暑で、要注意の黄色、平年並みの一昨日は安定の緑色だった。冷房使用量で左右されるそうだが、緑色を続けられるかはピーク時の電力使用を避ける工夫しだいのようだ▼資源エネルギー庁の推計で、夏の午後2時ごろの消費電力は全世帯平均でエアコンが53%と最大。以下、冷蔵庫23%、テレビ5%、照明5%、待機電力4%と続く。熱中症にならない範囲で、節電する余地はありそうだ▼筆者もにわか節電家に。まずは外気温カットだと、朝顔のグリーンフェンスづくりを始めた。でも未熟者ゆえ昨年のゴーヤー同様、失敗しそうだ。遮光ネットやよしずに任せ、室内はできるだけ扇風機を使うことにした▼暑いといわれる今夏に、小さな節電努力がどの程度、実際に役立つのかは、よく分からない。でも企業も節電に本腰を入れている。各方面の努力が積み重なれば大きな変化も可能になる気がする▼関西電力は9月22日までの平日午前9時~午後8時、一律15%節電を求めている。八木誠社長は「節電の実行量を見極めたい」と話す。原発なしで本当にやれますか?と問うているようだ。ここは腹を据えてやろうではないか。でんき予報を活用し、節電の先に脱原発の夢をみたい。[京都新聞 2011年07月02日掲載]
女性が着物に覆われていたころの女の手のまぶしさを、晩年の室生犀星が書いている。見ただけで「もう何もいらないというくらいこころ足りた青春の光景」であり、女の姿も「男の前では、手というものがつねに含羞(がんしゅう)に耐えかねていた」(「女ひと」)と映った▼その犀星に<蛍くさきひとの手をかぐ夕あかり>の句がある。ひととは着物姿の女性だろうか。薄暮の中、その手を引き寄せ顔をうずめる。すると人肌とは違うにおい。視覚だけでなく触覚や嗅覚にも響き、色気が漂う▼「匂い」とするか「臭い」と感じるか。そのにおいを先夜、京都市左京区北白川の琵琶湖疏水分線で初めて嗅いだ。土っぽい、草いきれにも似た命の香り。土中で成虫となり、草木の茂みを舞う生涯を物語るようである▼闇の中、十数匹が一斉に明滅する。ホタル研究者の大場信義さんによると、ゲンジボタルの雄と雌は発光パターンが似ているため、雄だけが周期をそろえて、雌を探しやすくしているのだという▼リズムが違う一つの光に、雄らしき別の光が近づいていった。「鳴く蝉(せみ)よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす」の例えさながら、短い一生の静かなクライマックスである。その臨場感に思わず息をのんだ▼ご近所さんだろうか、手に手を取った老夫婦。若いカップルは両手で囲ったホタルに見入っていた。音のないホタルの世界が生む沈黙は、契りを深くする。きっと犀星のころと変わらない。
[京都新聞 2011年06月10日掲載]