肛周尖锐疣怎么样治疗:日本高中生作文:如何对待上一辈人犯下的错误?

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日本高中生作文:如何对待上一辈人犯下的错误?(2010-12-09 11:16:28)转载 标签:

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【日本新华侨报网以“一篇日本高中生的获奖作文”为题发布了唐辛子翻译的一篇日本高中生所写的作文,这篇作文的题目是“真诚的国际交流与和平”,曾获得“2009年高中生散文大奖赛外务大臣奖”。作者是冲绳县高2学生饶平明玲美。从这篇作文中我们可以了解一部分日本年轻学生对日本历史和现状的理解(作文日语原文附后)。】

 

真诚的国际交流与和平

◆日本冲绳县高2学生饶平明玲美

(2009年高中生散文大奖赛外务大臣奖得奖)


“我最讨厌日本人,你们是世界上最残酷的民族,你们让我们菲律宾人遭受了多大的苦难。”面对这些突如其来的语言,我不知所措。等了又等的好不容易成行的比利时留学,是从我努力与周围交朋友开始的,但却被同班的一名菲律宾男同学这么说,懊恼和悲愤撕裂着我的心,当时我什么话都说不出来。

 

“为什么要对‘我’说这些?我不想否定日本在菲律宾犯下的那些残酷的行为,但那是在我出生好久以前发生的事,跟我有什么关系?!”我至今为止没有对菲律宾人做过任何对不起的事,我也没有任何可以令其指责的地方,这种“愤慨”我想其他同为日本人的一定会有共鸣。那天我把这件事的经过用电子邮件告诉了日本学校的老师,但是,我等来的却是完全出乎我意料之外的回信。

 

其实,这个老师曾经作为日语教师在中国有过2年的工作经历,据说就因为他是日本人,在中国有过饱尝辱骂的非常难过的记忆。在回信中这位老师这么说道:“我跟你说,孩子们做的事,他们的父母必须负责,这是当然的。但历史问题,你不妨完全倒过来思考一下,上一辈人犯下的错误,下一辈人不得不负起那个责任。”对于这个说法,如果说我能够100%完全接受那是撒谎,觉得道理上有些说不过去,但我感觉被他们给“试探了一把”。历史是无法改变的,但是,今后的日本,毫无疑问是由“我们”来建立的。

 

第二天,我尝试着跟他说话,说真心话,我连见都不想见他,但是我还是想尽量跟他交流一下。因为我想通过我,让他改变一下对日本的印象。于是我开始跟他交往,在渐渐开始熟悉了之后,不知不觉每天跟他一起吃午饭了,还在展望将来的话题上成为了挚友,那之后他再也没有接触菲律宾和日本的历史问题,接受了这样无言的信息。这一年,我能坦然地从正面接触他觉得是一件令人欣慰的事。

 

回到日本后,我参加了世界100多个国家的学校参加的国际交流俱乐部活动,在活动中通过电视会议与各国进行文化交流和地震赈灾募捐活动,还给菲律宾贫困地区的居民们赠送二手电脑,与很多国家进行共同学习和支援活动,其中最有印象的就是直接把捐款和电脑送到对方国家,面对面的活动建立起来的相互信赖关系成倍增加。

 

我通过这样的留学经验和俱乐部活动,感受到了真正的国际交流,是人与人之间面对面的沟通。真希望大家不要只是囫囵吞枣地盲信媒体,而是切实地面对那些国家的人,用自己的眼睛判断,那样的话,彼此之间的互相信赖一定会得到扩展,而没有争斗的和平世界,不也就会因此而诞生么?


附日语原文参考——

 

真の国際交流と平和

 

「おれは日本人が大嫌いだ。お前たちは世界一残酷な民族で、おれたちフィリピン人はひどい目に遭ったんだ」

 

突然言われたその言葉に、私は呆然(ぼうぜん)としてしまった。待ちに待ったベルギー留学が始まり友達作りに奮闘していた矢先、同じクラスにいたフィリピン人の男の子にそう言われた。悔しさと悲しさで心がぐちゃぐちゃになり、その時私は何も言うことができなかった。だがそれから段々と私の心は「怒り」に満ちあふれてきた。「どうして“私”にこんなことを言うの? 日本が犯してしまったフィリピンでの残虐行為を否定するわけではないけれど、それは私が生まれるずっと前に起こったこと。私には何の関係もないじゃないか!」。私はこれまでフィリピン人に対して何かひどいことをした覚えはないし、私が彼らから非難されなきゃいけない要素は何もない。その「怒り」を誰か同じ日本人と共有すべく、私はその日の経緯を日本の学校の先生にメールで説明した。だが、心待ちにしていたその返事には意外なことが書かれてあった。

実はその先生も日本語教師として中国で2年間働いた経験があり、そこでは「日本人」であるが故に、中国人から罵声(ばせい)を浴び、大変つらい思いをしてきたそうだ。そのメールには続けてこう書いてあった。

 

「あのね、子供がしたことに対して親が責任を取るというのは当然でしょ。それと全く逆のことを考えればいいのよ。歴史的な問題の場合、上の世代の過ちに対して、下の世代の人たちが責任を取らなくちゃいけないの」。その言葉に百パーセント納得したと言ったらうそになる。少しの理不尽さを感じたものの、私は彼らから「試されている」と感じた。歴史を変えることはできない。だが、これからの日本を築いていくのは、紛れもない「私」なのだ。

 

私は次の日、彼に話しかけてみた。本当のことを言えば、顔を合わせることすらはばかれる。だができるだけ彼とコミュニケーションを取るようにした。私を通して、「彼の日本のイメージを変えたい!」と思ったからだ。そうして彼と向き合い、お互いのことについて知っていくうちに、彼と私はいつのまにか毎日一緒にお昼を食べ、将来の展望についてまで語り合う“親友”となったのだ。もう彼が以前のように日本とフィリピンの歴史については何も触れなくなった。その“無言のメッセージ”を受け取った私は、1年間彼と真っ正面から向き合って本当によかったと心から思った。

 

日本に帰国した私は、世界100カ国以上の学校が参加している国際交流の部活に参加した。そこでは、テレビ会議を通してさまざまな国との文化交流や地震の救済支援のための募金活動、フィリピンの貧困地域住民のため、中古パソコンの寄付などたくさんの国々との共同学習、支援活動を行っている。そこで一番印象的だったことは、寄付金やパソコンを直接、相手国に届けたことであった。お互いの顔と顔を合わせることで、その信頼関係が何倍にもなるからだ。

 

私は、この留学体験や部活動を通して、真の国際交流とは、人と人との直のコミュニケーションなのだと感じた。メディアなどの言葉をうのみにせず、きちんとその国の人と向き合い、自分の目で判断してほしい。そうすることで、互いの信頼関係が広がり、争いのない平和な世の中が生まれるのではないだろうか。(沖縄尚学高2年)