雷连鸣家庭成员:自考日语阅读(一)复习资料3

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自考日语阅读(一)复习资料3

中华考试网(www.examw.com)  【大 中 小】  [ 2010年9月3日 ]-

 阅读练习4
(1) ひとりの子どもの話です。
仕事で疲れきって、家ではごろごろしてテレビばかりを見ている父親はあまり存在感がない、まるで透明人間みたいだ、というこの文章がありました。 (①これ)ではいけない。子どもたちに、父親が働いている姿を見せたらどうか。そういう意見もあって、ある母親は子どもを連れて、父親が働く工場へ行くのです。
 その子が参観の記を書きました。 
「友達のおとうさんが、どこかの課長さんだとか、放送局につとめているとかいうとき、私はいつもだまっていました。『わたしのおとうさんは工場のコックさんだ』というのが、なんだか(②はずかしくてならなかった)のです。でも、わたしは、きょうからそれが(③)いえるような気がします」その子は初めて、白いコック帽をかぶった父親の働いている姿を見ます。野菜サラダを作っている。びっくりするほど早い手つきでてきぱきと仕事をすすめている。
 「今まで、あんなお父さんを見たことがありませんでした。何か④よその人のような気がするくらいでした。でも、やっぱりわたしのおとうさんでした。おとうさ?螭稀uずかしそうな顔などちっともしていません。わたしだけが、何で恥ずかしがっていたのかと思うと、何かわるいことをしていたような気がしました」
 お昼のサイレンが鳴る。大勢の工員さんたちが集まる。「大勢の工員さんたちが、待ち構えていたように食べてい  

るのを観ると、わたしまでなんだかうれしくなりました。(⑥みんな)残さず食べてもらえるかと、じっとそれを見ていました」
 現場を踏んだことで、子どもの父親観が変わるのです。みんなが残さずに食べてくれるだろうか?そう思ってじっと見ている子の(⑦心臓の音が伝わってきます)。「お父さんの働く場所」という現場で、子どもは家にいる父親とは別の父に出会うことができたのです。
注1ごろごろする:  特に仕事もしないで過ごす。  注2参観の記:    見学したときのことを書いた文章
注3手つき:     手の動かし方  注4てきぱきと:   適切にどんどん仕事を進めていくようす
注5待ち構える:   すぐに対応できる姿勢で待つ  注6父親観:     父親についての見方 
問1①「これ」は、何を指すか。
1父親がいえでテレビばかり見ていること  2父親が仕事で疲れきっていること
3子どもが父親の存在を感じないこと   4子どもが父親の働く工場へ行くこと  

問2②「恥ずかしくてならなかった」のは、なぜか。
1テレビばかり見ている父親に料理ができるとは思えなかったから
2コックさんなのに、家では疲れていて全然料理をしようとしないから
3コックさんといっても、放送局ではなくて工場のコックさんだから
4友達にいえるような立派な仕事を父親がしているとは思えなかったから
問3(③)に入る適当なことばを選びなさい。
1平気で2ますます3がんばれば4じょうずに
問4④「よその人のような気がするくらいでした」とあるが、それはなぜか。
1家で何もしない父親が生き生きと仕事をしていたから  2子どもが来たのに父親が無視して仕事をしていたから
3父親が会社の課長か放送局の人間のように見えたから

   4父親に白いコック帽があまり似合っていなかったか
問5⑤「わるい」というのはここではどんな意味か。
1友達にたいしてずるい  2父親に感謝したい 3友達に対してひきょうだ  4父親にもうしわけない
問6⑥「みんな」は何を指すか。
1工員さんたち 2コックさんたち 3子どもたち  4工場の昼食
問7⑦「心臓の音が伝わってきます」とあるが、ここではどういうことか。
1子どもの心臓の音が工場の人に聞こえること   2どきどきしているようすが読んでいる人に分かること  
3はきはきしているようすが読んでいる人に想像できること  4びっくりしているようすが工場の人に感じられること
正解
問1―3   問2―4   問3―1   問4―1   問5―4   問6―4   問7―2
 (2) 液体としてのH2Oを表す語として、日本語には「湯」と?水」がある。この場合、湯というもの、水というものの区別がまずはっきりとあって、それに対してそれぞれ「湯」および「水」という名前がつけられているというふうに普通考えられる。これは、ごく当たり前の見方であり、たしかにそういう面もある。しかし、よく考えてみると、これによってすべて説明がつくわけではないことがわかってくる。(この見方に従った場合)、あらかじめ存在すると見られる湯とは一体なんか、また、水とは何かを考えてみると、湯は温かいもの、そして水は冷たいものという程度の漠然としたことはいえても、では、何度以上が湯で、何度意以下が水かということになると、はっきりと決めることはできない?つまり、自然界には、水と湯の明確な区分というものは本来存在しないのである。